潮目は、さらに一段動く
2026年1月に「AIコマース時代におけるDPP(Digital Product Passport)の役割とは?」と題して、「そもそもDPPとは何か」「なぜいま必要か」を整理しました。
あれから数か月。DPPをめぐるEUの動きは「概念」や「枠組み」の段階を越え、「どう登録し、誰が登録できるのか」という運用の具体へと踏み込み始めています。
今回は DPPレジストリ(中央登録システム)の実施規則ドラフトを取り上げ、アパレル・消費財事業者のみなさまが、いま何を押さえ、何から準備すべきかを整理します。
何が起きたのか >「DPPレジストリ」が動き出す
DPPの議論には、これまであまり前面に出てこなかった重要なピースがあります。それが DPPレジストリ(中央登録システム) です。
ポイントを整理します。
- 2026年7月19日、EUはESPR(持続可能な製品のためのエコデザイン規則)に基づき、DPPの中央レジストリを稼働させる予定です(ESPR第13条)。
- このレジストリは、各製品に割り当てられる固有識別子(ユニークID)を管理し、製品とそのパスポートをひも付ける「名簿・索引(ディレクトリ)」のような役割を担います。製品の機密データそのものをすべて溜め込む巨大データベースではなく、「どこに、誰の、どの製品のパスポートがあるか」を引けるようにする基盤、というイメージです。
- そして2026年に入り、欧州委員会はこのレジストリの運用ルールを定める「実施規則」のドラフトが2026年5月下旬まで行われました。
重要なのは、このレジストリがESPRだけでなく、バッテリー規則・建設製品規則・玩具規則など、複数の規制にまたがるDPPを支える共通基盤として設計されている点です。つまり「特定の業界だけの話」では終わりません。
ドラフトが示す、3つの大きな変化
今回のドラフトで特に注目すべきは、DPPが「データを置いておく仕組み」から「登録・本人確認・検証を伴う、規制されたインフラ」へと性格を変えつつあることです。具体的には次の3点です。
① 登録が「市場アクセスの前提条件」になる
ドラフトの設計では、EU市場に製品を出す前に、その製品のDPPをレジストリへ登録しておくことが求められる方向です。これは、販売後に粛々と対応すればよい「後工程のコンプラ作業」ではなく、登録がないと市場に出せない=市場参入の入口要件になり得る、ということを意味します。「対象になってから考える」では間に合わない構造になりつつあります。
② 登録できるのは「検証済み事業者」だけ ―― 本人確認の高度化
ドラフトで最も象徴的なのが、事業者の本人確認(アイデンティティ検証)の厳格化です。DPPの登録・更新ができるのは「検証済みの経済事業者(verified economic operators)」に限られる方向で、その検証には高い保証レベルの電子的な本人確認手段が想定されています。
- 適格電子シール(Q-Seal)
- 適格電子署名
- 属性の電子証明(QEAA:Electronic Attestations of Attributes)
- 保証レベル「高(high)」のeIDAS準拠の電子的識別手段
これらは、EUが整備を進める eIDAS 2.0/欧州ビジネスウォレット(European Business Wallet) のエコシステムと地続きです。DPPが、EUのデジタルID基盤と接続される。これは見落とされがちですが、非常に大きな含意を持ちます。
さらにドラフトは、この「検証済み」ステータスに有効期限(最長3年)を設け、定期的な再検証を求める方向も示しています。一度通せば終わり、ではありません。
③ 登録前に「自動セマンティック適合性チェック」が入る
ドラフトでは、DPPを登録する前段で、提出されたパスポートが必要な必須情報を備えているか、求められる粒度を満たしているか、有効な電子署名・電子シールが付されているかを自動で検証する仕組みも導入される見込みです。形式さえ整えれば登録できる、という世界ではなくなっていきます。
これが意味すること >「透明性施策」から「信頼インフラ」へ
3点を貫くメッセージはシンプルです。
DPPは当初、「製品のサステナビリティ情報を見える化する透明性施策」として語られてきました。しかし今回のドラフトが描くのは、本人確認・自動検証・相互運用を前提とした、規制された“信頼インフラ”としてのDPPです。EU単一市場におけるコンプライアンスの基盤レイヤーへと、その位置づけが移り変わりつつあります。
「QRコードを貼って終わり」ではなく、「誰が登録した、信頼できる製品データか」が問われる世界。これが、いま起きている変化の本質です。
事業者への呼びかけ
ここからが本題です。事業者のみなさまに、改めてお伝えしたいことが3つあります。
①「EUで売っていないから無関係」とは言い切れない
DPPはEU域内で製品を販売する企業だけの問題ではありません。原材料・部品・製品の供給者としてサプライチェーンの一部を担っているだけでも、取引先を通じて間接的に対応を求められる可能性があります。日本のメーカー・商社・OEM/ODM事業者にとって、これは「自社が直接の名宛人かどうか」だけでは判断できないテーマです。
②時間軸は、思っているより近い
ざっくりとした見取り図は次のとおりです。
- 2026年7月 … DPPレジストリ稼働。あわせて、大企業向けに売れ残り衣料・履物の廃棄禁止が適用開始の見込み。
- 2027年2月 … バッテリーパスポートが先行して義務化(DPPの“先行モデル”)。
- 2027〜2029年頃 … 繊維・アパレルを含む優先製品群で、委任法(Delegated Act)の確定後、一定の移行期間(おおむね18〜36か月)を経てDPP適用が始まる見込み。家具・電子機器・鉄鋼・アルミ・タイヤなども順次。
注目すべきは、DPP対応に必要なデータ整備(サプライチェーンのトレーサビリティ構築)には、一般に12〜18か月かかると言われている点です。「義務化が2027年以降だから、まだ先」ではなく、逆算すると“いま”が準備の起点になります。
③いまできる「最初の一歩」
完璧な体制をいきなり目指す必要はありません。まずは小さく始めることをおすすめします。
- 対象判定:自社の製品・取引が、どの規制・どのカテゴリーに引っかかり得るかを棚卸しする。
- データの所在確認:素材・原産地・製造工程・環境負荷などの情報が、いま社内のどこに、どんな形(紙・PDF・属人的知識)で存在しているかを把握する。
- 1製品でパイロット:代表的な1SKUで、データを構造化し「パスポート相当」を試作してみる。ここで初めて、サプライヤー連携やデータの欠落といった“本当の課題”が見えてきます。
さいごに
DPPは、遠い未来の話でも、EUだけの話でもありません。今回の「レジストリ実施規則ドラフト」は、ルールが“概念”から“運用”へと降りてきたことを示す、象徴的な一歩です。
「自社は対象になるのか」「どこから手をつければいいのか」
そんな初歩的な疑問からで構いません。まずは情報の整理から、お気軽にご相談ください。